大洲市のご紹介

詩情ゆたかな城下町。匂いただよう伊予の小京都
電信黎明の地
 日本初の電信実験の地
観光・文化施設
 「伊予の小京都」と呼ばれる大洲市は、しっとりとした水郷の情緒漂う城下町。大洲盆地にひらけた街の中央を、とうとうと豊かな水をたたえて肱川(ひじかわ)の流れが横たわります。

 富士山を思わせる標高320mの秀麗な山は冨士山(とみすやま)。春には頂上一帯を6万本のつつじが彩り、人々の憩いの場として賑わいます。ここには展望台やちびっこ広場、家族旅行村にコテージやオートキャンプ場などがあり、自然にふれあえる一大レジャーゾーンとなっています。
 名刹・如法寺(にょほうじ)、古い蔵屋敷跡が並ぶ“おはなはん通り”や明治の面影を伝えるおおず赤煉瓦館にも趣きがあります。四国八十八ヶ所の番外札所十夜ヶ橋(とよがばし)、高山(たかやま)メンヒル(巨石遺跡)、新谷(にいや)藩の陣屋敷跡麟鳳閣(りんぽうかく)、矢落川(やおちがわ)上流の源氏ボタルの里などの見どころに加え、清流肱川の風物詩うかいや花火大会、いもたきなど四季折々の楽しみがいっぱいです。
物  産
 大洲盆地は、県下でも有数の農産物の産地として知られ、たけのこ、白菜、しいたけ、夏芋など、おいしい野菜が豊富です。鮎や鰍(かじか)などの川魚は水郷ならではのもので、これらを用いた料理も素朴で美味。特に焼鮎の甘露煮は、藩政時代には藩から将軍への恒例献上品とされていました。米粉・小豆・砂糖のみで作られる銘菓しぐれは、大洲藩江戸屋敷内の秘法菓子が城下に広まったもので、甘さをおさえた上品な味わいが人気です。工芸品では最上の竹を使った竹細工が古くから行なわれており、現在も素朴な手作りの味を伝えています。
祭り インフォメーション
うかい
(6月1日〜9月20日)
 昭和32年に始まった肱川の観光うかいは、今では「日本三大うかい」の一つに数えられるまでに発展しました。あかあかと篝火を灯した鵜船と屋形船が一体となり、漆黒の川面をゆるやかに川を下る光景は、水郷大洲の夏の風物詩となっています。屋形船の上では風味豊かな郷土料理を味わいながら、鵜匠と鵜が織りなす妙技に拍手を送り、詩情溢れる夏の一夜が過ぎていきます。
   







いにしえ人の美学を堪能する幽遠な山水の世界−臥龍山荘
 「大洲の桂離宮」といわれる臥龍山荘(がりゅうさんそう)は、肱川流域随一の景勝地、臥龍淵に臨む三千坪の庭園です。神楽山を背に、冨士山、梁瀬山、亀山と、肱川、如法寺河原を借景とした庭園は、自然と人工の典雅な調和を見せています。臥龍院、不老庵(ふろうあん)、知止庵(ちしあん)の三建築は、それぞれ数寄を凝らした名建築で、数寄屋造の一つの典型とされています。山荘内は庭石から花木、苔類に至るまで細かい吟味が加えられ、深い趣きを醸し出しています。
大洲観光の新しい拠点「あさもや」誕生
大洲まちの駅として平成13年度に整備されました。新しい大洲の観光の玄関口としてたくさんの方が訪れています。ここを拠点としておおず赤煉瓦館・おはなはん通り・臥龍山荘にも徒歩で行くことができます。


 「あさもや」のすぐ近くにホテルだいいちがあります
電信の黎明 大洲の先覚者三瀬諸渕

1853年、大洲市中町生まれの三瀬諸渕は長崎から持ち帰った発電機と電信機を使い大洲市を流れる肱川河原で電信実験を行った。のちにこの実験が日本ではじめての最長距離の実験だったことになり、最近ではアマチュア無線家のみが活用している電信の歴史を物語っている
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大洲城復元
現在大洲市では、市制施行50周年の平成16年(2004)夏の完成をめざして、市民の長年の夢であった大洲城天守閣の復元事業を進めています。
 大洲城本丸跡に、天守閣と、現存する台所(だいどころ)・高欄櫓(こうらんやぐら)(いずれも重要文化財)を結ぶ多聞櫓を復元するというもので、歴史を後世に正しく伝えるため、史実に忠実な復元をめざしています。完成すれば、戦後復元された木造天守閣としては日本一の高さ(19.15m)となります。
 大洲市が市制施行40周年を迎えた平成6年、建築史家・(故)宮上茂隆(みやかみしげたか)氏を顧問とする「大洲城天守閣再建検討委員会」が発足しました。詳細な史料分析を経て、平成8年、復元構想が報告され、天守閣復元事業は動き出しました。
 天守閣復元は、市民の夢をのせた大事業。かつての雄姿をそのままに、威風堂々とそびえる大洲城天守閣が当市の新しいシンボルとして姿をあらわす日は遠くありません。